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三重県鈴鹿市は1942年に、軍の要請でつくられました。
軍によってつくられた日本最初の市です。
現在の市域には、鈴鹿海軍航空隊をはじめ陸海軍の飛行場が4つ。
他にも、鈴鹿海軍工廠、陸軍第一航空軍教育隊、陸軍第一気象連隊ほか多くの軍事施設がつくられました。
戦後はこれらの跡地に本田技研鈴鹿工場や鈴鹿サーキット、イオンモール鈴鹿など多くの企業がたてられ、市の発展の礎になりました。
私たち「鈴鹿市の戦争遺跡を保存・平和利用する市民の会」は、鈴鹿市の歴史をふまえ、市内に多く残る戦争遺跡を調査し、保存を訴え、市民に発信しています。
そして、鈴鹿市の戦争遺跡を文化財にすること、鈴鹿市に平和ミュージアムをつくることを目ざしています。
24年度の総会を次の日程で開催します。
5月11日(土) ジェフリーすずか・ホール
開会 13時半(開場・受付 13時~)
記念講演「あるB級戦犯者と戦争責任」(浅尾 悟さん) 参加費無料
紀伊長島町(現・紀北町)生まれのHさんは、南ボルネオでの戦闘でB級戦犯として訴追され、有罪判決を受けました。Hさんは巣鴨に収監中から一貫して無罪を主張し、1952年に仮釈放されてからも無念さを訴え続けられました。
Hさんの手記や公判記録など貴重な史料が、ご遺族から委託され、その史料をもとに当時の状況やHさんの生きざま、そしてB級戦犯問題について、浅尾さんが話して下さいます。
合わせて、このような貴重な実物資料が散逸・処分されるのを防ぎ、後世に残し活用するためにも、平和ミュージアム建設が急務であることを考えたいと思います。
講演終了後、24年度総会を行います。
23年度の活動をふり返り、24年度活動の方向性や取り組みを考え、確かめたいと思いますので、ご参加をよろしくお願いいたします。会員の方は24年度会費をお願いします。
地域史の研究をされている浅尾 悟さんが、アメリカの「戦略爆撃団調査報告」の調査に取り組まれていて、その中から新しい事実を見つけられています。
鈴鹿市稲生町に残っているコンクリート基礎は、これまで鈴鹿海軍航空隊の疎開倉庫とされてきましたが、三菱重工業鈴鹿工場の疎開工場跡だったことが判明しました。コンクリート基礎は2基残っていますが、東側が第一工場、西側が第二工場の基礎です。さらに近くの丘陵から別の工場のコンクリート面、コンプレッサー跡地などが確認できました。伊奈富神社北方にも第3~4工場の敷地が残っていることも確認できました。
また、鈴鹿市東玉垣町で「防空壕」とされてきた戦争遺跡も、第一鈴鹿海軍航空基地の周囲につくられた機銃砲台の一つである、第二機銃砲台の弾薬庫だとわかりました。
「戦略爆撃団調査報告」は膨大で、資料を見つけるまでが大変ですが、以前から貴重な記録が埋もれていて各地で研究が進められています。
浅尾さんが調査を開始されたことで、鈴鹿での新しい事実が多く見つかる可能性が高く、期待されます。
夏休みに実施していました年に1回のバスによる親子戦争遺跡見学会に代えて、個別に戦争遺跡のご案内をしています。すでにお申込みも頂いています。
ご要望に応じて、当会の都合がつく限り、いつでも、どこでもご案内いたします。
お一人でも、少人数でも、学校やコミュニティ規模でも対応いたします。
ただし、次のことをお願いします。
①徒歩、または車などの用意をして下さい。
②日程が重なった場合は、先着順にいたします。
③当会のガイドの都合がつかない日もありますので、ご了承下さい。
お申込みは竹内まで。(090-2772-1476 ta818hi@mecha.ne.jp)
このウェブページからの「お問い合わせ」欄からもお申込みができます。