22年度の活動


22年度総会  5月21日(土)14:00~ ジェフリー鈴鹿

 コロナで2年続けて書面決議になった総会。今年度は対面式で開催できてよかったです。

 21年度も中止された行事もありましたが、出前授業など新しい活動も増え、会報の発行も活発になりました。22年度も活動を継続しながら、鈴鹿海軍航空隊の格納庫部材の活用や平和資料館開設に向けての取り組みを強めることが確認されました。会員も高齢化などで減少していて、新会員を増やすことも大きな課題です。

竹内共同代表のあいさつ
竹内共同代表のあいさつ

 ご自身の戦争体験(東京・名古屋・津での空襲)も交えながら、小津安二郎や竹内浩三の日記や作品を通して具体的に熱く語って下さり、とても心に残るお話でした。鈴鹿市に住んだ山中智恵子や、長谷川素逝・黛元男など戦争への思いを作品に込めた県内の文学者も紹介して下さり、作品を読んでみたいと思いました。藤田さんどうもありがとうございました。

味のある式次第。中森共同代表の筆です。
味のある式次第。中森共同代表の筆です。

 記念講演は藤田 明さん(三重文学協会会長)の「戦争体験をめぐって、小津安二郎・竹内浩三など」。コロナのため3年待って、ご講演を拝聴することができました。 

藤田 明さん
藤田 明さん

石薬師小学校で出前授業  6月29日(水)7月6日(水)

 昨年に引き続き、今年も石薬師小学校からお声がけを頂いて出前授業をおこない、41名の6年生と「鈴鹿市と戦争」について学習しました。

 6月29日(水)の3~4時間目には、15年に及ぶ戦争の全体像と「軍隊が作った」鈴鹿市の歴史、そして石薬師にあった陸軍第一気象連隊についての授業をしました。前の時間に担任の先生から広島の原子爆弾について教わっていたので、子どもたちはとても興味をもって学習でき、質問もたくさん出されました。

 7月6日(水)の1~2時間目には、校区に残っている陸軍第一気象連隊の射撃場跡を見学しました。銃座や的、監的壕など、射撃場全体が残っているのは県内でここだけです。子どもたちは銃座周辺を観察したあと、300m離れた的の方まで歩き、広大な射撃場を五感を通して学習しました。

「この射撃場を50年~100年先にどうしたい?」

と問いかけると、「周りの木や草を刈りたい」「戦争遺跡公園にしたい」など、いろいろな意見が出されました。

 気象観測をする兵隊も射撃訓練をした歴史を学びながら、地域に残る戦争遺跡を守り、平和を考えるためにどう活用していくかを、これからも学習し活動してほしいと思います。

 意欲的な子どもたちや先生方と、楽しい時間を過ごすことができて良かったです。


2022 平和への祈り展  7.30(土)31(日)イオンホール

 今年も鈴鹿市主催、市民実行委員会も一緒に「平和への祈り展」をイオンモール鈴鹿2階のイオンホールで開催しました。

 今年のメインは、セーブ・ザ・チルドレン写真展「紛争下を生きる子どもたち」。日本を含む約120ヶ国で子どもの支援活動を行っている国際NGOが企画する写真展です。

 私たちも「鈴鹿にも戦争があった」をテーマに戦争遺跡や当時の軍事施設をパネルで紹介しました。

 他にも戦争中の鈴鹿市民の暮らしや町の様子がわかる「鈴鹿の記憶」展、原爆や赤紙、核兵器禁止条約などに関わる展示があり、2日間でのべ376人の方に見て頂くことができました。

鈴鹿市玉垣小学校で出前授業 10月5日(水)、6日(木)

 鈴鹿市立玉垣小学校で、10月5日(水)と6日(木)の両日、当会の 桐生小百合 と 竹内 宏行 が5年生(4クラス、130人)に出前授業をしました。

 市内全域に軍事施設が広がる鈴鹿市の地図、満州事変(1931)から敗戦(1945)までの年表、合併した2町12村の名前をプリントして渡し、約30枚の戦争遺跡の写真を拡大投影機を使って映し、1枚ずつ説明をしました。

 敗戦の2年半前に生まれた竹内はニューギニアで戦死した叔父一家のことを語りました。

 子どもたちの感想を紹介します。

 

①鈴鹿市の誕生

「戦争があったことで鈴鹿市ができたんだなあと思いました。きちだらけだったんだなあと思いました」

「鈴鹿市は戦争のためにがったいされた市だなんて初めて知りました」

「私は戦争で鈴鹿市が出来たなんて初めてわかったので、すこししょうげきでした」

「鈴鹿市がこんなに戦争に関わっているなんて知らなかったからびっくりしました。特に桜の森公園も関わっているのは本当に戦争があったと実感しました」

「ぼくは戦争のあとが今、鈴鹿市にたくさんあるのがおどろきでした。昔のまちは戦争のじゅんびしせつがたくさんあった」

「鈴鹿市は軍の工場や飛行場なんかがたくさんあったんだなと思いました。天気を調べる所が日本で1つしかないのに鈴鹿市にあってすごいと思いました」

「鈴鹿市は3~4つくらいの村で作られた市だと思っていたので、こんなにもたくさんの村で作られた市なのだと知り、びっくりしました」

②学校の近くにも

「千代崎中が建っている土地に軍施設があったなんておどろきました」

「いつも帰り道に中学校の前を通っているのですが、その中学校が軍しせつあとだということにおどろきました」

「最初は戦争って本当にあったの?て思って信じきれていませんでした。でも千代崎中学校のところに白いあとが残っていた」

「千代崎中学校の自転車おきばの後ろに戦争のころの80年前の石のかたまりがあるなんてしりませんでした」

「特にびっくりしたのが土師町に爆弾が落ちたことです。土師町に住んでいるので、本当にびっくりしました」

「みぢかに行っているハンターの近くにいっぱいばくだんがおとされたなんておどろきました」

③15年続いた戦争

「竹内先生がせんそうをやっているときにうまれていて、お母さんにだっこされながらぼうくうごうにかくれたのをきいてびっくりしました」

「竹内さんはおじさんが戦死したといったことに深く心に残りました」

「日本が戦争を終えたのが、たった80年前なのは思っているよりみ近でおどろきました。おばあちゃん(中国生まれ)が98歳だから18歳にようやく戦争が終わったのを知りました。今度会う機会があったら聞いてみようと思います」

「お話を聞く前は、アメリカとの戦争しか知りませんでしたが、中国とも戦争したことを知り、とてもおどろきました」

「日本も昔は中国やアメリカと戦争をして終わったときには約310万の人たちが亡くなったことにすごくこわくて悲しいです」

「15年間も続いた日本の戦争で戦死者が約310万人もいることを初めて知っておどろきでした」

「戦争で死んだ人がアジアで2000万人以上いるのが悲しいです」

「年表に戦死者約310万人とかいてありました。玉垣小学校何校分かなと思い、計算してみると約3875校ということがわかりました」

④戦争をなくすには 

「戦争で作られた工場とかを重要文化財に指定したほうがよいと思います。なぜなら戦争の経験を受けついでいかなければいけないからです」

「赤きっぷのようにお父さんやお兄ちゃんが戦死などしたりするのはイヤだからもう戦争はしちゃだめだと思います」

「あらためて戦争はダメだと思いました。その話を大人になってわすれずに戦争は『こわい』という心を持ちつづけます」

「私が今できることは戦争はいけないと思うことだと思います。みんなが戦争がいけないと思ったら戦争がなくなると思

うからです」

「お話を聞いて戦争はだめだと思いました。戦争をすると多くの人がなくなるし、自分たちのお父さんやお兄ちゃんが戦争

に行ってしまうかもしれません。早くロシアの戦争が終わってほしいです」

3年ぶりに「風の街の文化祭」に参加   10月23日

「いまある施設はどんな軍施設跡にできたか」を展示

  毎年秋に鈴鹿ハンターで開催されている「風の街の文化祭」。

 コロナのために2年間開催できませんでしたが、10月23日に3年ぶりに開催され、当会も参加しました。

 センターコートの片側にボードを並べて、戦争遺跡についての写真やポスターなどを展示しました。

 今回から新たに、いまある学校や会社にかつてはどんな軍施設があったかを一覧できる表を作り展示をしました。

 

市制80年記念 講演と対話のつどい      11月6日(日)

  鈴鹿市が誕生してちょうど80年。それを記念して11月6日、ジェフリーすずかで「鈴鹿にも戦争があった あのころといまと 講演と対話のつどい」を開催しました。

 毎年、記念日前後に講演会などを開いてきましたが、今回は展示を充実させるとともに、彫刻家、長谷川 八寿雄 さん(92)に軍国教育をくぐった青年時代を語ってもらいました。併せて、市民の会の今後について、会場の参加者といっしょに考える場を持ちました。

 参加者約60人の盛り上がった会になりました。

 

第一部 講演会(13:30~14:30)

 「配属将校、学徒動員ー私の戦争」

          (彫刻家 長谷川八寿雄さん) 

長谷川八寿雄さん
長谷川八寿雄さん

 

 長谷川さんは1944年、旧制神戸中(現・神戸高校)に入学され、全校で7番目の成績だったこともあり、先生から陸軍幼年学校にいくことを勧められ応諾されました。

 しかし、養子の一人っ子であることから親が反対。翌日、先生にいきませんと話すと、配属将校らに竹の棒で幾度となく頭をたたかれました。痛さをこらえて耐えましたが、学校の成績は一気に70番まで落ちてしまったそうです。

 そんな体験をはじめ、戦後、教員そして彫刻家になって現在に至るまでを、ユーモアたっぷりに話されました。

 

第二部 対談・対話(14:35~15:35)

 

 市民の会の14年の活動を振り返りながら、今後の最大の課題、平和資料館設立の取り組みなどを話し合いました。

 旧陸軍の防空壕を町指定文化財にした明和町について「2万数千人の人口だが正規雇用の学芸員が3人いる。首長の姿勢次第」と発言があるなど会場からたくさんの意見が寄せられました。 

 対談・対話のあと、次のような「まとめの言葉」を読み上げました。 


「14年前、まだ残っていた3棟の巨大格納庫が取り壊されそうになり、何とか阻止しようとして私たちの運動は始まりました。力及ばず取り壊されましたが、この取り組みを通して私たちは2つの町と12の村が大合併して軍都として誕生した重い歴史を自覚しました。格納庫を所有していたNTT西日本から格納庫の部材の一部を譲り受け、大切に保管しております。

 これまで、市内各所に残る戦争遺跡の見学会、講演会、「桜の森公園」の春まつり、小中学校への出前授業などの活動を重ねてきました。広く市民に、とりわけ子どもたちに市の生い立ちを知ってもらおうという思いからです。

 恒常的に市の歴史を学ぶ場がどうしても必要です。それには行政当局の力が欠かせません。鈴鹿市と協力して平和資料館を実現することを、この場で誓い合えたらと思います。」

 

会場の展示

 会場ホールの南、西、北の三方を展示にあてました。入口付近に 森田 英治 さん方に保管してもらっている格納庫の部材。下に毛布とビニールシートを敷いて屋根と横引き扉の部材、配電盤、電灯、外溝の蓋などを展示しました。

 鈴鹿市考古博物館から借り受けた秤、薬瓶、工員印、通門証など15点、九条の会すずかが制作した鈴鹿の空襲の立体模型、鈴鹿市の誕生を載せた伊勢新聞、パラシュート、出征見送りののぼり、今ある学校や会社にはかつてどんな軍事施設があったか一覧表と写真、鈴鹿海軍工廠のポスター。 

 小河 正樹 さん、加奈 さん親子が長崎で作成した親子新聞「ナガサキピース・タイムス」も飾りました。

地子町で民間防空壕を確認   2月8日(水)

 情報を頂き、2月8日に鈴鹿市地子町にある民間防空壕を調査しました。

 防空壕は全長約8mで、東側の入り口から入ると、内部でゆるやかに「く」の字型に曲がり、北側の入り口に出ます。

 入り口付近は崩落していますが、内部はきれいに残っています。

壕の中から東側入り口を見る
壕の中から東側入り口を見る

 地域の方によれば、地子町の人たちがこの付近に共同で掘り、壕の南側に別の防空壕も掘られていましたが今は残っていないそうです。

 地域史研究者の浅尾 悟さんも調査に同行され、防空壕の略測図を後日作って下さいました。ありがとうございました。

防空壕の東側入り口
防空壕の東側入り口
壕の中から北側入り口を見る
壕の中から北側入り口を見る

国府町北一色の防空壕を測量      3月3日(金)

 鈴鹿市国府町北一色の丘陵斜面にある防空壕を、地域史研究者の浅尾悟さんが測量され、当会の桐生が協力しました。

 測量の結果、斜面にある3つの穴のうち、中央の穴が防空壕の入り口で、内部は十字型で奥行5m、左右の長さ6.5m、高さ1.2mだと分かりました。

 左の穴は十字型地下壕の天井が崩落したもの、右の穴は十字型地下壕とは別の壕でごく浅いものだということも分かりました

十字型地下壕の奥から入口を見る
十字型地下壕の奥から入口を見る

 この地下壕は、天井の一部が崩落していますが、非常に良く残っていて貴重な戦争遺跡です。

 この斜面の前に当時は民家があり、その家の方が掘った防空壕だということも、聞き取りで分かりました。

防空壕の全景
防空壕の全景
十字型地下壕の右側から左側の崩落部を見る
十字型地下壕の右側から左側の崩落部を見る

第6回 桜の森公園春まつり  4月1日(土)

 鈴鹿海軍航空隊跡地に造られた桜の森公園春まつりは、絶好の花日和に恵まれた4月1日、盛大に開催されました。

  昨年はコロナ禍で中止、2年ぶりに、ライブ、「空に舞う」子どもの遊び、タイムトラベルウオーク、戦争遺跡パネルの展示、屋台村と、フルメニューで実施しました。

「空に舞う」では、隣の鈴鹿医療科学大学の学生ボランティア4人がぐにゃぐにゃ凧、紙飛行機、シャボン玉など子どもの遊びをサポートしてくれました。

 ステージでは、子どもらのヒップホップをはじめ、おくだしんいち、にらいかない、三重大アカペラサークルなどライブも充実していました。

 タイムトラベルウオークは、モニュメント「地 天」や、取り壊された旧格納庫跡地などを見て回りました。

ダウンロード
第6回桜の森公園・春まつり2023 (009).pdf
PDFファイル 703.7 KB

  

 

 参加して頂いた皆さん、実行委員会やスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。


陸軍第一気象連隊の地下壕の測量   4月19日、21日

 鈴鹿市石薬師町にある地下壕を、地域史研究者の浅尾悟さんが測量され、当会の桐生が協力しました。

 この地下壕はコの字型で、奥行が10m、奥の長さが11m、高さが2mあります。内部は一部が崩落していますが、良く残っています。

地下壕の東側入り口
地下壕の東側入り口

 地下壕の掘り方や、陸軍第一気象連隊に隣接することから、この壕は民間防空壕ではなく、気象連隊のものと考えられます。

 地下壕のすぐ南側に気象連隊の将校集会所があったので、将校用の防空壕として掘られた可能性が高いですが、気象連隊の施設図には載っていないので、さらに調査を進める必要があります。

地下壕の西側入口
地下壕の西側入口
地下壕の奥壁を東側から見る。奥壁はよく残っています。
地下壕の奥壁を東側から見る。奥壁はよく残っています。

清和小学校5・6年生と平和学習会   4月27日、5月2日

 鈴鹿市立清和小学校5・6年生の先生から「桜の森公園(旧・鈴鹿海軍航空隊)に遠足に行くので、鈴鹿市についての平和学習をしたい」とご要望を頂き、4月27日の午後に出前授業をおこないました。

 5年生は、遠足のコースに合わせて、戦争中につくられた軍事施設(海軍航空基地、三菱の軍事工場など)を紹介し、鈴鹿海軍航空隊から軍事工場、輸送用飛行場へと拡大していったことを学習しました。

 6年生はそれに加えて、15年続いた戦争と鈴鹿市の軍地施設をつなげて歴史の学習もして、鈴鹿市は「戦争が作った全国で初めての市」であることも見つけました。

 両学年ともに、平和を守るために戦争の事実を語り継ぐ大切さと、遠足での見学ポイントをお伝えしました。

6年生との現地見学
6年生との現地見学
5年生との授業
5年生との授業

 5月2日は遠足当日。市民の会からも2名、桜の森公園にお邪魔しました。

 子どもたちは出前授業の時に伝えた見学ポイントをとても良く覚えていて、戦争中作られていた滑走路の長さを歩いて実感したり、桜の森公園にある3つの戦争遺跡やモニュメントを見学したりしました。

 特に、鈴鹿海軍航空隊の正門と番兵塔に隠されたウソを見つける活動には、5年生も6年生も意欲的に取り組めてすばらしかったです。

 遠足という活動を活かして、鈴鹿市の身近な戦争遺跡などから、戦争の悲惨さや平和を語り継ぐ大切さの学習をされた清和小学校の取り組みはすばらしかったです。これからも歴史学習などでさらに深めてほしいです。