記念講演は、朝日新聞名古屋本社編集委員の伊藤智章さんが「『語り継ぐ戦争』を取材して」というテーマで話して下さいました。「語り継ぐ戦争」は戦争体験者の話から戦争の事実を浮き彫りにする特集で、すでに80人をこえる方の証言を紹介されています。
「戦場でバンバンと撃ち合うと思っているのは、映画の見過ぎだ。実際には陣地でじっと待っている方が多いし、その時が一番怖い」「小学生が麻薬のケシの収穫をした」「戦艦大和は『大和ホテル』で、トイレは洋式だった」など、体験者の多様な話に寄り添いながら、戦争やその時代の多面的な実相を克明に記録して語り継ぐ姿勢が素晴らしかったです。
2019年4月13日(土)に総会をジェフリー鈴鹿で開催しました。
今年度の方針として、次のことを決定しました。
〇戦争遺跡の保存や文化財指定を行政に働きかける。
〇平和資料館の開設に取り組む。
〇見学会、講演会、企画展示会を開催する。
〇戦争遺跡の調査や、戦争体験の聞き取り調査をする。
〇会報やホームページで会の活動を広く発信する。
長良川河口堰や伊勢湾台風、最近では東日本大震災についても深く取材をされている伊藤さんなので、お話の中にも「日本という国のあり方」への視線も感じました。
「沖縄では、集団自決した人には補償金が出るが、弾に当たって亡くなっても何も出ない。対馬丸の犠牲者には出るが、他の疎開船には出ていない。空襲で犠牲になったり、傷害を受けた方への支援もない。ドイツでは軍民差はない」というお話も印象的でした。
また、横井庄一さんに浴びせられた罵詈雑言や、最近取材をされた岐阜県・黒川開拓団の「性接待」問題を通して、日本人の偏狭性や偏見についても語られました。
戦争というものがいかに膨大な被害や後遺症を残すのかを後世に伝えるためにも、これからも多くの方に取材し、発信してほしいと思いました。
伊藤さん、どうもありがとうございました。
鈴鹿市に平和ミュージアムを作るために、各地の先進的な平和ミュージアムを見学して、私たちが作りたいミュージアムのイメージをふくらませています。第1回は17年の滋賀県平和祈念館、昨年がピースあいちと見晴台考古資料館、今年が3回目です。
19年6月29日(土)、以前から要望の多かった長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館に出かけました。経費節約のために自家用車2台に分乗しての片道2時間半の旅行でした。
スタッフの松尾さんに展示の解説をして頂きました。
当時の厳しい時代背景や、国にだまされていった経緯、戦争が終わってから始まった悲惨な状況などがよくわかりました。写真や資料も豊富に展示されていて、1時間ではすべてを見れないぐらいでした。
次の世代に、これらの事実をしっかり伝えていきたいと思います。それは鈴鹿市の戦争についても同じです。
見学中は雨にも降られずに良かったです。帰りに昼神温泉でお土産を買って帰途につきました。
来年はどこを見学しようか、たくさん候補があるので今から楽しみです。
今回ボランティアで車の運転をして下さった長瀬さん、どうもありがとうございました。
最初に事務局長の三沢さんから、館のコンセプトや沿革、そして取り組みなどのお話を聞き、「満蒙開拓の真実」という映像を見せてもらいました。
この記念館は被害だけでなく、加害も学べるという言葉が印象的でした。
近くの長岳寺にも行きました。中国残留孤児の里帰りに尽力された山本慈昭さんのお寺です。慈昭さんの銅像もありました。左の方に見えている鐘は「望郷の鐘」と名付けられていて、映画にもなっています。
7 月 27 日(土)に開催予定の戦争遺跡親子見学会は、台風 6 号の余波を受けて 8 月 12日(祝・月)に順延しました。
私たちが作ったモニュメント(鈴鹿海軍航空隊跡地)から見学をスタート。軍都として誕生した鈴鹿市の歴史や、モニュメントに込められた思いを伝えました。
次に訪れた平野町は、鈴鹿海軍工廠の火工部に関わる戦争遺跡を見学しました。みんなで歩いて、戦争遺跡がいくつ残っているかを調べました。
写真は火管圧填工場で、当時の様子がわかる貴重な戦争遺跡です。今年の4月までアパートとして再活用されていましたが、現在は使われていません。今回は大家さんのご厚意で、工場の内部も見せて頂けました。
近くには、同じ構造の工場跡や小さな倉庫がいくつも残っています。鈴鹿海軍工廠の工場群が面的に残っているのはこの区域だけで歴史的景観としても価値が高いです。
次は、「わがや」さん(鈴鹿市安塚町)の倉庫に保管して頂いている鈴鹿海軍航空隊の格納庫部材を見学しました。
部材を市民に公開したのは、今回が初めてです。この部材をこれからどうしていけばいいでしょうかと、子どもたちにも問いかけました。みんなでいい考えを見つけて、形にしていきたいです。
最後に、住吉町のため池近くに残る巨大な火薬庫、そして機銃の試射が行わ れたドーム状の厚いコンクリ施設(着弾場跡)を見学しました。
見学会には子どもたちも参加して下さいました。この見学会がきっかけになって、鈴鹿市の歴史や身近に残っている戦争遺跡について興味をもってくれたら嬉しいです。
来年の夏には陸軍コースを開催する予定です。
10月20日(日)に鈴鹿ハンターの1階コンコース広場で「風の街」が開催され、今年もパネルを展示しました。
今年も鈴鹿市内にあった軍事施設と、今も残っている戦争遺跡を写真や地図で紹介しました。
戦争当時を覚えてみえる方や、さまざまな世代の方が足を止めて、熱心に見て下さいました。
毎年開催していますが、「初めて知った」と言われる方が多いので、これからも展示を続けて伝えていきたいです。
11月30日(土)に、戦争遺跡資料展と講演会を開催しました。12月1日が鈴鹿市の市制が施行された日なので、その前後に毎年開催しています。
いつもは鈴鹿市内の公民館で、その地区に所縁のある軍事施設や戦争遺跡をテーマにして開催していますが、今年は鈴鹿海軍航空隊格納庫の部材を保管して頂いている「わがや」さん(鈴鹿市安塚町)の倉庫を会場にして、部材を公開することにしました。
部材を市民に公開するのは、7月の親子見学会に続いて2回目です。
午後は講演会「鈴鹿海軍航空隊と格納庫部材」を開催して、鈴鹿海軍航空隊や格納庫の変遷や部材の価値などをお伝えしました。
残すことのできた部材は、巨大な格納庫のほんの一部分ですが、実物資料のもつ魅力は無限大です。
部材がもつ歴史的意義や価値について、これからも定期的に発信していきます。
鈴鹿海軍航空隊の格納庫3棟が、開発のために解体されたのは2011年の冬。ちょうど東日本大震災が起こった頃でした。
その時に保存できた部材が、2018年に「わがや」さんで一時的に保管して頂けることになり、今回初めて一般公開をしました。
実行委員会形式で3月28日(土)に開催を予定していた第3回「桜の森・春まつり~広がれ平和の輪~」は、新型コロナウィルスの感染予防のために中止になりました。
毎月、実行委員会を開催して活発にアイディアを練り、準備万端整った後だけにとても残念です。
感染された方の一日も早いご快癒と、平穏な日常の再開を願ってやみません。
2021年は、たくさんの人と春祭りができますように。